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□■ 絵 心 の ま ま に □■
第一章:ボクの履歴
第二節:屈辱と感動の図画工作
小学校に上がると、それまでの保育園でのお遊技と違って、
勉強・学習という名のもといろいろとやっかいな日々を過ごす事になりました。
勉強が苦手(と云うよりは大嫌い)なボクとしては、
学校の授業そのものが人生において削除したいものでした。
それでも毎週図画工作の時間だけは待ち遠しくてしかたなく、
親父やお袋はその度にため息をついていました。
クラスの男子達が、体育の時間が待ち遠しくて
しかたないそれと同じ感覚のものでしょう。
新たに色数の多いクレパスやクレヨン(クレパスの様に脂やロウ等で顔料を
練って固めた物)、それに水彩絵の具や絵筆、プラスチック製のパレット等が
学習教材として両親から買い揃えられました。
(12色から16色、又は18色と色数が増え、感激したものです)
クラスの中で比較的裕福な家(差別的であまりすきではない表現ですが)
に生まれた子は、天然カラー24色などという結構な物を買ってもらい、
ボクはすごくうらやましかった事を覚えています。
でも、彼になんだかんだ理由を付けて、その天然カラー24色を
よく貸してもらっていました。
まぁはっきり言って彼が持っていても、その“24色”は
“宝の持ち腐れ”であったろうし、
実際その子が描く絵には到底“24色”の成果は表れて
いなかった様に、はた目にも見てとれました。
水彩は勿論それまでのボクが体験しえなかった感動を与えてくれました。
チューブから白いパレットに絵の具を出し、筆洗で絵筆を濡らし、
好みの絵の具を溶かして画用紙に描く。
そう、そして小学校からはそれまでの自由画帳ではなくて、
一枚の白い画用紙に描く事が常識的になっていました。
これには少なからず驚きました。(今となってはごく当たり前なのですが)
自由画帳も小学校では、その名をスケッチブックと改められて、
今思えばいかにも画材らしい改名だった様な感じ。
何か既に“絵描き”になった様ないい響きではないですか。
ボクにとって小学校での図画工作の授業は、幼いながらも
緻密で大変重要な時間となりました。
当時、三年生まで図画工作の授業は毎週土曜日にありました。
そのせいか余計にその授業が待ち遠しく、いざ土曜日ともなると
それはもうルンルン気分だったのです。
(クラスの大半は、そんな土曜日が憂鬱だったみたいですが)
クラスメートからは「土曜日は瀧の日」ってからかわれた事をよく覚えています。
それもそのはずで、土曜の授業は三時限しかないのですが、
その三時限とも図画工作の時間だったからです。その時間の中で特に好きだったのが、
カセットテープに入った童話を聴き、物語の一場面を想像して描くというものです。
(これがまたクラスの皆は大嫌いだったらしく、おチャラけた子が多かったかな)
何度かくり返し物語を聴いたあと、4ッ切りの画用紙いっぱいにその情景を描きました。
手前味噌的で恐縮ですが、その当時は我ながらいいものが描けたとよく思ったものです。
ある図画工作の時間、大好きなその授業がありました。
いつもの様に聴き耳をたてて、印象的な場面を描こうと実際に
画用紙に向かい、下絵を描いて一時限目が終わりました。
10分の放課があって、ボクは席を離れてトイレに行っていました。
その時事件は起こりました。放課が終わりボクが戻ってくるやいなや、
ボクの席に人だかりが出来ていて、何やら騒々しくしているのです。
何かと観てみると、こともあろうにクラスメートの一人が、
ボクが描いた下絵に勝手に色を塗っているではありませんか。
それも鼻歌なんぞ歌ってのんきに。ボクは当然の事ながら怒りをあらわにして、
彼を払い除け、「何しとるんダァーッ!」と、怒鳴りました。
綺麗な色で塗っていれば、仮にまた別の意味で感動したかもしれない彼の塗ったそれは、
綺麗とは遠く懸け離れた代物でした。
ボクは泣き出したくなる様な怒りと絶望感をかろうじて封じ込み、
先生に彼のした事を言い付けました。
(まさに言い付けたという表現が相応しい状況だったと記憶)
ですが先生は彼を叱り付けたもののボクに一事言うと、平然と授業を進めました。
「タキ君、授業の残り時間はあまりないからこのまま塗り直し、完成させなさい」と。
先生のその一言で、泣き出したくなる様な怒りと絶望感は屈辱へ変わりました。
「なんでダァ〜ッ!」
ボクは先生の顔を今にも泣き出しそうな真っ赤な目で“ギィッ!”と、
睨み付けるのがやっとでした。
あの時ボクはある意味透明水彩の恐ろしさを知りました。
一度塗られた画用紙の色は塗り重ねても下の色が出てしまい、
決して綺麗な色を上塗りしても綺麗にはならないのだと悟ったのでした。
(これが学習ってもの)そして、そのクラスメートのおかげで
透明水彩のすばらしさも知ったのです。下地に淡く綺麗(自分にとって)な色を塗り、
少しずついろいろな色を塗る事により、とてつもなく
複雑で力強く本当に綺麗な色に変化する事を。
あの時に彼のいたずら的行為がなければ、
これを知るのがもう少し(中学の美術の授業で習う)遅れただろうと考えれば、
むしろ感謝しなくては。当時はとことん彼の行為を根に持ちましたが、
あの屈辱的な行為が思わぬ技術を知るカギとなり、ボクの絵心を
更にくすぐるものとなったのです。
2002年7月執筆
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