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□■ 絵 心 の ま ま に □■




第一章:ボクの部屋

  
この章ではボクの部屋でのいろいろについてご紹介します。
イラストも交えながらお読み下さい。




第一節:そこは幼少からアトリエだった


 “前書き”でも述べた様に部屋を貰ったのは、小学校5年生の時で、広さは六畳チョットです。

両壁に据付けの机に五段の本棚、木を沢山使った親父自慢の部屋です。

初めは勉強部屋として与えられましたが、勉強苦手(勉強するとジンマシンが出る!

昔なんかそんなマンガがあった?)のボクは直ぐさ間勉強部屋とは違う雰囲気の部屋にしました。

と言っても、特に何か特別独特なモノを置いたりした訳ではないのですが、

その頃の友人らの勉強部屋みたいにランドセルや通学カバン、算数ドリルや

辞書類、はたまたマンガ週刊誌等は置きませんでした。

結構趣味一本やりな感じで、絵の教室で描いた油絵が毎週増えていき、それを

週毎に壁へ架け代えるのとそれに関わる油絵用具、親父に必死におねだりして買って貰った

天体望遠鏡が置いてありました。それと部屋を貰った時一番に入れたベッド。

収納量を豊富に設えた本棚には当時百科辞典や世界のお話絵本、それに親父から

貰った訳の分からない英語の本が納まっていました。

(百科辞典や親父から貰った英語の本の一部は今でも本棚の定位置にのさばっている。

“のさばって”と言う表現がまさにふさわしい状態で、とかく百科辞典に関しては掲載内容が古くて

今では殆ど開く事がないのだ。そしてあの英語の本はと言うと、やっぱり今だに訳の分からない

存在で今後もボクの中ではそうあり続けるのであろう)

これは余談ですが、友人らの勉強部屋を見ると、男女ともマンガ週刊誌が

部屋の片隅や本棚に犇めきあっていました。

しかし当時のボクは“マンガはテレビで見るもの”と思っていて、マンガ本の存在を知りませんでした。

友人らがいつもテレビアニメの番組より先のストーリーを知ってる事に凄く不思議さを感じていて、

(今想うと随分“オマヌケ”な話ですが)尚マンガ本の存在を

知っても、“それでもマンガ本=単行本”と思っていました。

(要するに他の子達みたいにマンガ本を読む事に対して、当時のボクは全然興味がなかったのです。

と言うよりはマンガ本を含め、読書事自体が大嫌いでした。あえて読むとするなら、百科辞典や

美術本“第一章,第三節:魅惑の油絵にて紹介”等といった自分の得意なものに対しての本だけでした。

まさに『筋金入りの勉強嫌い』です)

illustration/Kenny.V


 前にも述べたのですが、クラスメートの影響で始めた油絵は親父から作って貰った

勉強部屋を直ぐさまアトリエにしました。

油絵を習い始めた頃は教室(先生のアトリエ)に油絵用具を保管していたので、家に帰って描く事は

しませんでしたが、三、四ヵ月もすると家でも描きたくなる様になり、油絵用具を持ち帰っては

先生に小分けしてもらったキャンバスに絵を描いていました。

(教室ではキャンバスではなく、紙で出来たキャンバス地の両面ボードを使っていた)

始め、部屋で描いてる時は教室と同じ様に床に新聞紙を敷いて

その上にキャンバスを置き、座って描いていました。

しかし何か描きにくくて、自分でキャンバスを立てるイーゼルを作りました。

(何度か失敗しながら床に座って描ける高さに設定)

こうして油絵を描く自分なりの環境を整え終えたボクは、油絵にとことん入り込んでいきました。

何枚か描いているうちに部屋の中が油彩独特の匂いになり、布団や

自分の身体等もその匂いがしみついていました。

(油彩で使う溶き油は結構鼻につく為、そういう気になっていたのかも)

ボクが習っていた教室の先生は魚の絵を点描で描く方で、行動展

(行動会会員)等に精力的に出展していました。

点描と言えばスーラーが有名ですが、先生の点描はまたそれとは違って独特の

透明感があり、先生の絵を始めて観た時に凄く感動したのを覚えています。

(スーラーは当時の印象派の画家達の中で、物質を科学的に見定め模写しようと試みたと聞いています。

そこで考えついたのが、“物質を分子単位で表現する”すなわち一つ一つの点で

物の形や光、色までもつくり出すと言う手法だった様です。

色までもと言うのは例えば、一定間隔に敷き詰められた青い点と黄色い点の集合体を

遠目で観ると、緑に見えると言うものです)

ボクも絵画教室の先生の様に見様観真似で点描をしたり、ペインティングナイフで

左官屋さんみたいに油絵の具をキャンバスに塗り付けたりと、美術図鑑や展覧会等で観て気に入った物を

試行錯誤しながら、自分の部屋(アトリエ)で描きました。

そうして、ボクの部屋は確実にアトリエ化して行き、部屋のあちこちに描いた作品が置かれていきました。

小学校5,6年生ではまだそんなに上手く描けなかったと思いますが、

それでも家で描き続けた分はそれなりに幾らか上達するもので、

教室で描いている時にその成果が出て来ました。

またその分だけ部屋も油絵の具で汚れる訳で、新聞紙を敷いて描いていたのにもかかわらず、

小学校6年生の終わり頃にはオレンジ色のじゅうたんがサイケデリックな色に変化してしまいました。

まぁ、よく思い出してみると筆洗に使う灯油の器をひっくり返したり、絵の具のついた筆を

ウッカリ落としたり、終いには手についた油絵の具をねたくったりと無茶苦茶してましたから当然でしょうね。

そうした中、絵画教室で時々自分でも“上手く描けた”と思える出来ばえの作品が仕上がりました。

今想い返すと懐かしくもチョッピリ照れくさい気もしますが、ボクの志はこの部屋で大きく膨らんでいくのでした。


                                                  2003年7月執筆


※ 実家総改築に伴い、2006年5月、思い出いっぱいのボクの部屋は取り壊しとなりました。
そして‥‥  同年10月、ボクの新たな部屋が出来上がり、“意匠巧房”と命名しました。



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